La Vie en Rose

思考の備忘録

0217

前回の日記を書いてからあっというまに1ヶ月すぎていました。

無事です。普通に風邪でした。

普通の風邪なのに、熱出た直後はプチパニックになっていたっぽくて、前回のエントリーを読み返しながら自分で自分が可哀想だった。結局あのあと内科へ行き、もらった薬を飲んで一週間もしたら治った。

 

今日は久しぶりに9年来の友人と通話しました。彼女と話しながらまた読みたい本が沢山出来て、やっぱりSNSを一度やめてそれらを読みながら生活したいな……と思った。そう思うと同時に、それが自分には出来ないこともわかっているので少し苦しい。程よい塩梅にしたいですね。

そして、”難しいこと”を考えずに好きなものにだけ触れながら楽しく暮らしていた頃を思い出して懐かしい気持ちになった。今だって、いつまでだってそうやって暮らしていきたいけど、それはもう無理なので、己の怒りに100%フォーカスし続けない方法を模索しつつやっていくしかないわね。

 

アウトプットの欲の波がきています!今年は毎月一本長めの記事を書くことを地味な目標にしているので、何をどこで書くかもう少し考えてみます。あっという間に2月も下旬。

0122

ついに熱がでた。

 

3日ほど前から頭が痛かった。それで熱を測ってみたけど平熱だったので、「原因は気圧かなあ…」なんて思っていた。でも気圧の状況を調べてみても、自分が感じる頭痛とは時間(朝)が一致していなかったから不安だった。睡眠時間は普段以下でも以上でもなかったけど、就寝時間が少し遅くなってきている自覚はあったからそれかもな、と考えていた。

もともと偏頭痛も少しあるし、昔から体調を崩しやすく、熱も出しやすい気質だ。最後に高熱を出したのは去年の7月で、このときはひと月に3回も高熱を出したので(下がっては上がり、を繰り返していた)内科の先生には「次高熱が出たら免疫の検査しましょう」と言われていた。結局4回めはなかったので、免疫の検査は受けずじまいだったが、受ければよかったなあとも思っている。とはいえ、この時もこんなに体調崩していたのに感染症とは関係がなかった。それでも気をつけ過ぎることはないと考えて、頭痛が起きてからは毎朝検温をして、平熱であることを確認してから外出していた。朝、起きたてのときに頭痛があっても日中は特に気にならない、ということは頻繁にあるし、自分もとくに気にしてなかった。外出する用事といっても人と会って喋ったりするわけでもなく、買い出しに行ったり、教習所で講習を受けたり、路上教習を受けるだけ。潜伏期間を二週間としたとき、発熱の日から逆算すると1月4日になるけれど、その日以降人と対面でがっつり話したことは記憶上ではない。

気になって厚生労働省のHPで”濃厚接触者”の定義を調べてみたら、以下のように定義されていた。

濃厚接触者は、新型コロナウイルスに感染していることが確認された方と近距離で接触、或いは長時間接触し、感染の可能性が相対的に高くなっている方を指します。
濃厚接触かどうかを判断する上で重要な要素は上述のとおり、1.距離の近さと2.時間の長さです。必要な感染予防策をせずに手で触れること、または対面で互いに手を伸ばしたら届く距離(1m程度以内)で15分以上接触があった場合に濃厚接触者と考えられます。

これを見る限り、”濃厚接触”をした可能性があるのは路上教習の車内か、教習所へ通うのに使っている公共バスかなあ……。とはいえ教習車も窓は常に開けているし、バスの車内も換気されてる上に人が喋っていることはまずない。

あれこれ原因を考えてしまいますけど、こういったことは何の役にも立たないんですよね。寒さも続くなかで普通にいつも通り(?)体調崩している可能性も十分ありえるし、振り返ってみても自分がとりわけ気を緩めていたともあまり感じないので…。

 

ひとまず、今の自覚症状としては

  • 発熱(37.5度、解熱剤飲んで寝て起きたら37度)
  • 頭痛
  • 食欲の減退
  • 寒気
  • 喉の痛み
  • 鼻詰まり

といったところ。この辺だけみてると普通に風邪っぽいんだけど、この情勢だから何もわかりません。様子をみます。

0509

4日前から具合が良くない。

 

自分と価値観が似ている、と勝手に思い込んでいたけれど、本当はそうじゃないかもしれなくて、それを前提条件として行動してきた全てが疑わしくなってきており、傷付けたくないのに傷付けていたかもしれないことが分かった。

「ほんとうはそんなつもりじゃなかった」という言葉は、言い訳以外のなにものでもなく、自分が最も悪しく思うものである。「そんなつもりじゃな」いことと、相手が傷ついたことには何の関係もない。

 

「恋人ならともかく友人に対して考えすぎ」というような旨のことを言われたが、そこに境目を作る理由が私には分からない。もう何もわかってないことがわかったし、八つ当たりまでしてしまって最悪だった。

0428

久しぶりの雷を聞いた。窓の外がパッと蛍光灯のように光って、あのお腹の中に響くような轟きを感じた。明日から暖かくなるらしい。

 

 

自分は、言葉を使うことにすごく慎重である、と自覚している。言葉は、自分自身に誠実でいるための手段だと考えているので.....。いつからこうだったかは思い出せないけれど、不用意に言葉を発することを何よりも毛嫌いしてしまう。

"普通"は、ここまで言葉に敏感ではない、と気が付いたのは結構最近のことだ。親子喧嘩をしたときに「雑談レベルで話しているのに、そんなふうに細かく指摘しないで」と母親に拗ねられたことも一度や二度じゃない。それはそうだなと思う一方で、"雑談レベル"なら言葉に鈍感でいていいとも私には思えなくて、未だに自分の中での線引きが出来ず解決できていない。

一番よくないのは、「相手にも自分と同程度の言葉への敏感さを求めてしまう」こと。自分で自分を律するのは自由だけれど、それを他者にまで求めてしまうのは本当に良くない。お互いに疲弊するだろうし、そもそも相手に変化することを強要するのってどうなの?とおもう。

 

こんなことを考えて、まじで人間との"交際"向いてないなって思いました。他者とのコミュニケーション、むずい。苦手だと思ったことはあまりなかったけど嘘ですね。ていうかこれが得意だって自負している人間、そもそもコミュニケーション下手説唱えていきたい。

 

自分と同程度「言葉の意味に敏感」で、実際に「思考」してくれるひとってこの世に存在するのか...?と思って、自分の数少ない友人達を想起しました。もう彼らとしか生きていけない...でも彼らにも「生活」があるし...と思って辛くなるなど。おわりまでの「生活」をやっていくときに、自分の傍にいて一緒にやっていってほしいけれど、そういう場合そこに「恋愛感情」だったり「交際関係」って不要じゃない?そもそも「結婚」という形でしか、『「生活」を一緒にやっていく』が想定されていないのがおかしい。めちゃくちゃおかしいし論理的な説明出来る人いたら連絡ください。

 

先日のTRP2020のラジオ配信を聴いていて、Aロマの方のモノの見方を聞いていたらまじで本当に自分のことを説明してもらっているように感じる部分もあれば、そうじゃない部分も発見できたのでとても学びがあった。やっぱり自分はパンでデミぽいな〜と思いつつ、全体的にAロマに近いような気もしています。こういうことを考えるとき、「推し」という概念がよく円滑な思考の邪魔をしがち。「推し」を見て、恋愛感情に似た感情を覚えているのってやっぱり別ものだとおもうけど、その発想がある時点で...みたいな気もするし。今後も考えていきたいトピックです。

 

今日はルービックに夢中になりすぎた。タイムがだいぶ縮んできて、昨日一個完成するのに説明書ガッツリみながらで8分9秒かかったのが、今日は説明書ちら見で4分55秒とかで出来たのでかなり成長を感じます。していない時間もめちゃくちゃ考えてるこのハマり方、既視感あるな...と思ったら、高校生の時に買ってもらったスプラトゥーンやり込んでた時と全く一緒だった。楽しいです。

0426

暖かくて風が強い!

 

ルービックキューブ、買いました。

家にじっとしている時間が長いから、UNOとかの大勢でやれるカードゲームや、何らかのボードゲーム欲しいねって母に言われるので何か買うかもしれない。部屋に物を増やしたくない気持ちvsボードゲーム欲しい気持ち。そもそも大勢を家に呼ぶことがないので使い道がなくなるのではという危惧。

 

素敵な2LDKに住みたい。贅沢言わないから1LDK。もうすぐ引っ越しする人の新居の間取り図を見て興奮してしまった。よいなあ。社会人を3年もやれば住めるようになるのかしら。そして、自分以外の誰かと共同で暮らすということに慣れる日は来るのでしょうか。一人暮らしは本当に最高。メリットデメリットは何事にもありますが、余裕でメリットが数で勝つ。

 

就活のことを考えない日はない。早く安心したいけど結局自分が頑張り続けたいか次第な現状なのがまた苦しい。頑張りたくはないけど自分にとっての最善を手にしていたい。やれることは少ないのだからやりなさいと思う。諦めようと思えば諦めてもいいし、それでもいいのでは?とはいえ楽しくやれそうなのは幸運だけど、自分を許せる?わからない。もう何もわからないです。

早寝早起きをしよう。半日を寝て過ごすにはやりたい事が多すぎる。

0425

気が付いたらもう大分春が始まっている。

 

 

就活、順調に祈られています。

単純に、本当に自分の知力が低いことが原因なのだろうなということが分かってきました。ていうか、そこで判断されているのだから当然である。コロナ禍が原因で、採用状況が変化していることは確実だと思うのだけど、それでもやっぱり「選ばれない」という事実に変わりは無い。そもそもこの状況で選ばれる人間であればどのような状況であっても選ばれるのだろうし。

身近な人々にはまだ話していません。「心配かけたく無い」と言ったら聞こえがいいけれど、ほんとうはただ「慰め」が聞きたく無いだけなのだと思います。自分の就活状況を家族に話さなければいけないというルールはないし、逆にここまで明け透けに話しているのは結構珍しい気がする。皆どうなんだろう?(皆がどうかなんて関係なくない?)

 

こんなことを考えているうちに、「そもそも"就活状況"に限らず何事においても、他者と共有する必要ってなくない?」みたいな気持ちになってきました。自分は結構積極的に自己開示をしてしまう質なので、どこかそうするのが癖になっているのだと思います。控えた方がいいのかな。自分がこうな分、そこまで自己開示しないひとに魅力感じがち。

 

 

毎日、料理して動画みてネイルして生きている。あまりにも時間を無為に溶かしているので明日から漢検の勉強を再開しようと思っています。時間割みたいに、「何時から何時まで○○をして、そのあと休憩挟んでまた何時から何時まで○○をする」と決めようかな。

漢検の勉強

・ドイツ語の勉強

Webテストの勉強

TOEICの勉強(いつ本番受けられるのやら...)

・運動

・読書(とりあえず図書館から借りているものだけでも)

こうして書き出してみただけでも、やりたいことは沢山ある。やろうと思うまでに時間がかかる。自分しか自分に勉強させてあげられないので、とにかく1日10分でもいいから机に向かおうと思います。ここを記録代わりに使おうかしら。

 

 

ルービックキューブ、欲しいなあ。

昔から苦手で、一人で面をそろえられた記憶がない。どういう原理であれが上手くなるのかもさっぱり分からなくて、出来る人はすごいなあと思う。以前に交際していた人がルービックキューブが得意だったので、初めてあれに攻略法なるものがあることを知った。ある特定の模様になったら、あと何手で揃う、とかそういうやつ。ルービックキューブが得意だと賢い感じがするし単純にかっこいいし暇つぶしにもなりそうなので欲しい。そのひとのこと、特にルービックキューブが出来るからかっこいいとか思ったことなかったけれど。最近憧れている人がルービックキューブ得意なので、やりたさが増しているのはある。

どこかのサイトで、単価0円、送料のみ(600円)で買えるらしいと知ったので、近日中に買ってしまうかもしれない。

 

 

ここ最近は小さな部屋で母と二人で暮らしているのですが、なんだかやっぱり息が詰まります。肉親だから気が合うとか、仲が良いとか、そういうのはもう全部嘘だと知っているのでもういい加減それに期待して失望するのをやめたい。

冷たいと言われても仕方ないなと思うけど、合う合わないは誰にでもありますしね どうにも出来ないなとも思うので各々なんとかやっていくしかない

どうにも出来なくなったとき、寄りかからせてほしい。頼らせてくれなくていいから、ただ寄りかからせてくれるひとにいて欲しいな。

 

0331の下書き +α

あるツイートを探しているフォロワーさんがいたが、該当ツイートに心当たりがなかったため、助けられなくてごめんと思った。

 

自分の話したことに対して、「高尚な話」といわれてしまうのは寂しい。壁を一枚置かれてしまうような気分。「そんな高尚な話、考えたこともなかった」と軽く笑いながら言われて、そこに悪意は一切なかったのだろうけれど、一瞬閉口してしまった。

でも、そのことを残念に思う気持ちと、その人に対して抱く感情は必ずしも一致しない。彼女のこと、今後もっと深く知って行きたいな、と感じている。

 

先日、「申請主義が情報弱者に優しくない」というツイートを見かけてから気がつけばそのことについて頻繁に考えている。情報弱者に対して「自己責任」で片付けていいのだろうか。一方で、「知ろうとしない(無知)(無学)」に非がないと言えるのか。

法律を勉強する過程で、"法の不知はこれを許さず"という文言について学んだ。

(以下"教えて!goo"より)

「法律を知らなかったからといって犯罪にならない、ということは無いよ」ということで、これは刑法38条に規定されています。

(中略)

民事でも同じです。
借金も相続されるなんて知らなかった、といっても、それは通りません。
法律を知らない方が悪いのです。

酷なようですが、こうしないと法律など有ってもなきがごとくになってしまうのでしょうが無いのです。

現代社会にあっては、最低限の法律ぐらい知って
おく必要があるし、重要なことはすぐ専門家に相談すべし、ということです。

法律はこうした精神を根底に成り立っているので、そうすると情報弱者の救済は教育しかないのかなという気もする。

 

 

昨年の7月に一度上げて、その後下げた記事で書いていた子が、卒業を直前に彼女と別れたという報告を受けた。少し驚いたけど、意外性はそこまでなかったな。「自分以外全員他人」である以上、結局はお互いがどれだけ価値観のすり合わせが出来るか(したいと思えるか)だなあと思わされる出来事だった。

愛情の定義が、「相手のありのままの姿を愛する」なのか「(自分を)愛しているなら(相手が)変われるはずだ」なのかでタイプが分けられるような気が勝手にしている。ここの認識が合わないと難しいのかなと推測しています。