La Vie en Rose

思考の備忘録

0428

久しぶりの雷を聞いた。窓の外がパッと蛍光灯のように光って、あのお腹の中に響くような轟きを感じた。明日から暖かくなるらしい。

 

 

自分は、言葉を使うことにすごく慎重である、と自覚している。言葉は、自分自身に誠実でいるための手段だと考えているので.....。いつからこうだったかは思い出せないけれど、不用意に言葉を発することを何よりも毛嫌いしてしまう。

"普通"は、ここまで言葉に敏感ではない、と気が付いたのは結構最近のことだ。親子喧嘩をしたときに「雑談レベルで話しているのに、そんなふうに細かく指摘しないで」と母親に拗ねられたことも一度や二度じゃない。それはそうだなと思う一方で、"雑談レベル"なら言葉に鈍感でいていいとも私には思えなくて、未だに自分の中での線引きが出来ず解決できていない。

一番よくないのは、「相手にも自分と同程度の言葉への敏感さを求めてしまう」こと。自分で自分を律するのは自由だけれど、それを他者にまで求めてしまうのは本当に良くない。お互いに疲弊するだろうし、そもそも相手に変化することを強要するのってどうなの?とおもう。

 

こんなことを考えて、まじで人間との"交際"向いてないなって思いました。他者とのコミュニケーション、むずい。苦手だと思ったことはあまりなかったけど嘘ですね。ていうかこれが得意だって自負している人間、そもそもコミュニケーション下手説唱えていきたい。

 

自分と同程度「言葉の意味に敏感」で、実際に「思考」してくれるひとってこの世に存在するのか...?と思って、自分の数少ない友人達を想起しました。もう彼らとしか生きていけない...でも彼らにも「生活」があるし...と思って辛くなるなど。おわりまでの「生活」をやっていくときに、自分の傍にいて一緒にやっていってほしいけれど、そういう場合そこに「恋愛感情」だったり「交際関係」って不要じゃない?そもそも「結婚」という形でしか、『「生活」を一緒にやっていく』が想定されていないのがおかしい。めちゃくちゃおかしいし論理的な説明出来る人いたら連絡ください。

 

先日のTRP2020のラジオ配信を聴いていて、Aロマの方のモノの見方を聞いていたらまじで本当に自分のことを説明してもらっているように感じる部分もあれば、そうじゃない部分も発見できたのでとても学びがあった。やっぱり自分はパンでデミぽいな〜と思いつつ、全体的にAロマに近いような気もしています。こういうことを考えるとき、「推し」という概念がよく円滑な思考の邪魔をしがち。「推し」を見て、恋愛感情に似た感情を覚えているのってやっぱり別ものだとおもうけど、その発想がある時点で...みたいな気もするし。今後も考えていきたいトピックです。

 

今日はルービックに夢中になりすぎた。タイムがだいぶ縮んできて、昨日一個完成するのに説明書ガッツリみながらで8分9秒かかったのが、今日は説明書ちら見で4分55秒とかで出来たのでかなり成長を感じます。していない時間もめちゃくちゃ考えてるこのハマり方、既視感あるな...と思ったら、高校生の時に買ってもらったスプラトゥーンやり込んでた時と全く一緒だった。楽しいです。