La Vie en Rose

思考の備忘録

『彼らが本気で編むときは、』

『彼らが本気で編むときは、』観ました。

  

 

親と子供、というのは本当に不思議な関係だなあと思う。

 

互いを選んだわけではなくて、一番近くにいる”他人”であって、どうしたって人生に密接な存在で、共有しているものは多いのに、分かりあうのが難しい。

 

この映画を見ながら、「何が人を親たらしめるのか」についてずっと考えていた。

ただ血が繋がっているから、産んだから、というのは答えにはならない。一緒に過ごした時間?心的距離?どれも適切ではないように思える。

 

母親が家を出てしまい置き去りにされた11歳のトモ(柿原りんか)が、おじのマキオ(桐谷健太)の家を訪ねると、彼は恋人リンコ(生田斗真)と生活していた。トランスジェンダーのリンコは、トモにおいしい手料理をふるまい優しく接する。母以上に自分に愛情を注ぎ、家庭の温もりを与えてくれるリンコに困惑するトモだったが……。

マキオと倫子さんの家に住むようになってから、トモは二人から愛情を沢山受ける。初めて可愛いキャラ弁を作ってもらって、お弁当箱の蓋を開けた後のトモの表情は本当に嬉しそうで、切ない。すぐに食べるのが勿体無くて置いておいたウインナーがダメになってしまって、それでも食べた後にお腹を壊すシーンは感情がもみくちゃになった。

倫子さんとトモの距離がどんどん縮まっていく様子は暖かくて、幸せに満ちていて、誠実だ。初めて会った時は倫子さんの容姿に、存在に困惑していたトモが、倫子さんの胸を触るシーン。二人は二人にしかできない方法で関係を深めていて、そこに間違いも正解もなくて、誰にも否定する権利なんてない。

 

ついにトモのママが帰って来た場面。トモを養子にして育てたい、お願いしますと告げた倫子さんに詰め寄る母親に対して、トモは拳をなんども振り上げる。

「倫子さんはご飯を作ってくれた、キャラ弁作ってくれた、髪も可愛く結んでくれた、編み物教えてくれた、一緒に寝てくれた」「どうしてママはしてくれないの?どうしてもっと早く迎えに来てくれないの?」必死に言葉を紡ぐトモの声は苦しい。それなのに、トモは「ママと一緒にいる」と泣く。

一視聴者として、どうしてなんだよ〜!って叫びたくなると同時に、心のどこかではわかってしまう。トモにとって、子供にとって、母親は一人なのだ。一人しかいないのだ。どんなに冷たくされても、放っておかれても、蔑ろにされても。誰に優しくされても、完全な代わりになることは難しい。

自分だったらどうするかな。見捨ててマキオと倫子さんの子供になってしまうだろうな。実際にその状況になったらこんなに簡単に割り切れないのかもしれないけれど。

 

映画は、トモが元の家に一人で戻る場面で終わる。冒頭部では洗い残しの食器がシンクに溜まり、洗濯物は干しっぱなし、部屋中に洋服が脱ぎ散らかされ、ゴミ箱はコンビニで買ったおにぎりのフィルムでいっぱいだったのが、この時は全て片付けられており、母親の新たな決意が見られる(気がする)。それでも、どことなく「トモは本当に大丈夫なのだろうか」という思いが拭えなかった。そこでトモが倫子さんに渡された包みを開くと、中から編まれた偽乳が出てくる。それは、倫子の母が倫子に編んでくれた贈り物であり、最上級の愛情だ。

 

映画の中ではその後、本当にトモの母親が改心するのか、倫子とマキオがどうなるのか、トモは”大丈夫”になるのかは描かれないまま終わる。

3人がもし戸籍上の「家族」になれなくても、この先も関係を保ち続けて幸せになってくれたらいいなあ。

 

 

今回書ききれなかった部分が沢山あるし、全人類に見て欲しいし向き合って欲しい。こんなに丁寧にMtFに焦点を当てて描かれていて、周囲の人間との関係性にも触れている作品に初めて出会いましたが、初めてがこの作品で本当に良かった。見て。

 

 

「何が人を親たらしめるのか」。

私は、「子供からの承認」のみなのではないかと思っている。