La Vie en Rose

思考の備忘録

0304

‪小学校低学年ぐらいの頃に、森絵都さんの『カラフル』を読んだことがある。

母が「森絵都さんなら読みやすいんじゃない」と買ってくれたのがきっかけだった(今思えば何が読み易さの判定基準だったのかは謎)。内容はうろ覚えなんだけど、たしか主人公の男の子が片思いしていた女の子が、援助交際をしていた描写‬があった。これも朧げな記憶だけど、それに関する直接的な言葉は出されず、読者が自然と「ああそういうことなんだな」と察するような描かれ方をしていた気がする。

当然、小学校低学年の私はそれが一体なんなのか分からず、なんなら初めて"援助交際"という概念に触れたのはこの作品だったかもしれない。それに対して主人公が抱いた衝撃、喪失感、嫌悪感などを鵜呑みにしてしまった印象がある。好きな子がどうして、いけないことだ、"綺麗だと思っていたのに"と。

 

正直に言ってしまうと、小学校低学年以来『カラフル』を読み返していない。それでも、今読み返したら確実に当時とは異なる受け取り方が出来るのだと思う。今の私は「援助交際」がどういうことなのか分かっているし(少なくとも概念上は)、その事実一つで少女の「綺麗/汚い」が判断されるべきでないと思っている。尚且つ、むしろ主体的にそれを行うことで「性」の主導権を握っている彼女のことを好意的に受け止めるような気もする。

 

何はともあれ、読み返す前にファーストインプレッションのことを書いておかないと上書きされてしまう気がしたので急いで記しました。

気持ちに余裕があるときに読み返そうと思います。

 

0214

春が近いことを感じさせる暖かさ。花粉。春花粉じゃないと思ってたけど、否定できなくなってきた。

 

 

恋人と、初めて喧嘩ぽいことをしました。

「喧嘩することなんかあるのかね〜」なんて呑気に言っていたけれど、ちゃんとありました!だからか、最中もどこかウキウキしている自分がいた。

原因は割愛しますが、今回の件に関しては相手の非が7割、私自身のエゴが1割、外的要因が2割という所感(本人は自分に100%非があると主張していたけど)だったので、主張が反発し合うような喧嘩はしていないのだけど、気持ちに行き違いが生じそうだったという観点からみて"喧嘩ぽいこと"でした。

自分にとって腑に落ちないことがあったときに、素直に言える関係性は尊いな、と感じいる会話でした。自分の気持ちを伝えてもきちんと受け止めてもらえるという信頼があったし、実際にその通りだった。多分、というか確実に、私の対話のやり方は圧迫的に感じる人もいると思うからこそ、それを平常なものとして聞いてくれる交際相手には感謝の気持ちが募る。何度か言葉を一生懸命に選ぼうとする故に詰まることがあっても、そのたびに電話口の向こうで黙っていてくれたのがとても優しくて、関係ない文脈で泣きそうになっちゃうなどしました。

話終わったあとも、「でもこういうことを伝えてもらえるのはめちゃくちゃ嬉しいなあ」と言っていたのが本当に印象的で、こんなに素直で優しい良い子で大丈夫か?と思ってしまった。too precious for this worldなのでは....とはいえ普通に神格化されるような人間ではないというのも見て知っていて、私がすぐにこうやって崇め称えがちなところを(本人の意図しないところで)諌められるので、結局相性がいいんだね。そういうことにさせて下さい。

なにはともあれ、先日、親友に言われた言葉を実感しました。「好きな理由を探すのではなく、好きだから一緒にいるための方法を模索するのだ」。この言葉に完全に納得することは出来ないけど、好きだから解決を図ろうとするのだな、とは思う。謝罪をする自由は相手にあって、それと同時に謝られても許すかどうかの自由は私の手元にあって、でも好きだから許してしまうのだろうなと思ってしまって悔しい。ずるい。とても好きっぽくて笑うしかない。

 

需要がない恋愛の話ばかり書いてしまう、と一瞬反省したけど、そもそも需要のある話なんて書いてないのだった。すべて自己満足なのでした、傲慢でした。

0207

晴れ。気温は今年初の氷点下を記録したらしく、寒すぎて指がちぎれちゃいそうだった。冬のピークは過ぎたと思っていたのに、不意打ちでこうも冷え込まれると参ってしまう。おかげさまで全く買い物をする気になれず、用事をすませたら速攻帰宅して引きこもっていた。

 

今日は企業の説明会に参加してきた。興味のある分野を扱っている業界だけれど、具体的にどんなことをしているのか知らなかったし、諸々の条件を秤にかけやすいように…と思って話を聞きに行った。

結論からいうと、自分の期待からは少し外れていた。というか、かなり。会社全体としてあまり採用活動がうまくないというか、こちらに対するアプローチも弱いし構成も色々思うところがある感じだったし、そんなに規模が大きくない分新卒採用への熱意も弱めなのかもしれない。社員さんの雰囲気もあまり魅力的じゃなかった。自分はそこまで上昇志向も強くない、って思っているんだけどなあ。自分の成長の機会がなさそうな場所であることと、それ以外の条件もあんまり良くないことを総合的に考えた結果、おそらく受けないだろうなあ…ってなった。書類出したら通りそうな雰囲気があったので、切羽詰まってたら受けてたかもしれないと思うけど、幸いそこまで切羽詰まってない。

こういうことを考えているうちに、やっぱり「好きなことを仕事にする」ということのハードルって高いんだなって感じてしまう。ちがうかな。『自分の好きなことはあんまりお金にならない』が正しいかもしれない。

 

 

2月に入ってから、ほぼ毎日自分の好きな人たちと過ごしていたので、その反動がひとりになった途端に来ました。なんだかんだ他者と関わるのが好きな自分、かわい〜ってなっちゃいますね!!話すことが好きなんだろうな。そんなこんなで交際相手に構われにいったら、予想していた5倍ぐらいの真剣さで話に付き合ってくれてはちゃめちゃに嬉しかった。常々言っているけど、アウトプットをすることで自分の考えをまとめることが出来るタイプ(それ以外の方法で考えをまとめるのが苦手/下手)だから、話しながら「自分は本当はこういうことを考えていたのか」とか、「こういうところに価値を感じているんだ」ということの理解を深めることができて大変助かる。

自分はわすれっぽいし、交際相手のことを好きなポイントが多すぎてどこかにまとめておきたいとも思うけれど、新たに記録する場所を作るのも手間だしもし億が一消さないといけないことになったら自分が受けるダメージに耐えきれる自信がないため、結局やらない。日記とtwitterにちまちま書くことにします。こないだ惚気ツイートしていいか許可を得ることに成功したので…いつも突拍子のない発言や文脈を無視した発話に付き合ってくれて、ほんとうにイイ奴。

 

 

とにもかくにも就活!先日会った中高時代の級友たちがみんな進路が決まって、夢を叶えたり安定した職につけることになっていたりと、軒並み幸福な状態に落ち着いていたのがとっても嬉しかった。自分も一年後の今頃は就活の諸々を面白いネタ話として話せているといいなあ。自分の満足のいく就職先が決まりますようにと願っている。

0120

新年明けて一発目の記事。他に書きたいことあったはずなんだけど、それらはきちんと時間のとれるときにゆっくり書きたいと思うので今日は別のことを書く。

 

今日は個人的にものすごくショックなことがあって、落ち込みやすい時期なことも相まって必要以上に悲しくなってしまった。来年度の予定が少し狂ってしまうなあ。

人と話しているときは忘れていられるんだけど、1人になると色々と考え込んでしまう。よくない癖です。いつもなら結構すぐに切り替えられる方なんだけど、ここ数日は全くだめですね。去年の11月に少し似ている。耐えるしかない。

 

ずっとこの先も、生活の些細な景色だけ変化しながら、こんな風に感じながら生き続けていくんだろうか。いつまで?手段がないだけで意思がないのとは同義ではないし、強い動機がないだけで執着は全くない。苦しみは自分一人のものだと銀色夏生さんも言っていた。わたしもそう思う。誰とも分かり合えない苦しみというのは孤独だ。でも理解しあえなくても寄り添うことは誰しも出来るのだとも思っている。...というより、そう信じたい。

 

1214

晴れ。外に出てないので気温はわからない。

 

SNSで知り合って、もう9年ぐらいの付き合いになるひとたちが結構いる。

彼ら(彼女ら)の9年間を、彼らの紡ぐ文字を通して見聞きしながら追って行く─もしくは並走していく─なかで、一時期と比べてだんだん疎遠になっていった人もいるけれど、ここまでくるともう「どんなに沢山会話を交わすか」ということはそんなに重要じゃなく、互いに「元気にやっている」「生活している」ことを横目で確認しあっているような、そんな感覚がある。

それでもふと、自分自身が彼らのことをなにも知らないと感じることがある。

ここでの「知る/知らない」は、もちろん名前や住んでいる場所や顔立ちといった部分の話ではない(おもしろいことに、9年間も繋がっていると、なぜかいつのまにかこういうことはふんわりと分かるようになる)。それよりももっと個人的な、たとえば好きな色や好きな季節、悲しい気分のときに聞く音楽や今まで見た中で一番奇妙な夢、子供の頃の忘れられない出来事などを指す。

9年間も知り合っていて、おそらく中高を同じ教室で過ごした同級生の何人かとよりも交わした会話が多くて、深夜に深い感情にまみれた言葉を交わし合ったのにも関わらず!と思って驚く。それらの情報がなくたって感情をさらけだしあえるということなんでしょうけど…。

要するに、私のなかでは上記のことを「知る」ということで、ほんとうにその相手のことを知った、と思えるのだろう。また書きながら考えをまとめてしまいました。でもそれってめちゃくちゃハードルが高くない?時間もかかるし。コスパがよくない。「他者のことを知る」のはものすごく難しくて時間がかかって、さらにはこれを質問しあえるような人間関係を事前に作っておく必要がある。し、世の中的にはこの「事前段階」を以って「知り合う」とされているように感じます。

何が言いたいのかわからなくなっちゃった。とにかくこういうことを考えていました。

 

最近はかなりステイブルな精神状態です。とはいえ昨日はとっても嬉しい言葉をもらえて、気持ちが浮き足立っていた。私が好きなひとは私のことを喜ばすのがべらぼうにうまいのでとてもずるいなと思う。嬉しいけど悔しい。負けたくない!(何に?)

やらなくてはいけないことが結構山積みなんだけど、どれもこれも全く手をつけていないので「ま〜たやってるな」って自分に対しておもうけど、この時点ですでに間違ってんだよなあ。客観的に見ている場合ではない。とにかくなんか始めよう。はい。

12月も折り返し。楽しみなイベントを楽しむためにも課題やっつけます。

 

1129

晴れ。日中の気温が異常に低くて、今朝のニュースでは「年末年始並みの気温」と言われていた。

 

2日前の記事でポジティブだったのに、いまは落ち込んでいるので自分が嫌になります。今までどうしてきたんだっけと必死に思い出そうとしているけど、「今まで」が参考になることなんてないのだろうなとも思う。閑話休題。何をするにも許可を求めたくなってしまうのはよくない傾向。でもこれは必ずしも一方に起因する問題ではないですよね?見えてるか見えていないかはさておいたとしても...溺れかけのハムスターが溺れるのはそこに水場があり梯子がないためでもあるよね...?

こんなようなことをぐるぐる考えていたら午後が終わりました。

あと24時間もすれば12月になってしまう事実に怯えます。なんだかずっと足踏みをしている気分。

 

1127

雨のち曇り。とても寒かった。もう冬です。

 

最近早寝しようと(せめて日付が変わる前に寝ようと)努力しているので手短に。

水曜日はそこまで気が重い授業もないし、なんとなく生産的になりたくて今日は夕食に野菜の炒め物をして明日のお弁当のおかずを作り置きするなどしました。えらいね。

 

昨日は3、4限をきってしまった。

どうして切ってしまったかというと、これはもう単純に交際相手となるべく長い時間一緒にいたかったからです。忙しいひとなので会えるうちに会っておきたいという気持ちになるし、それで授業切ってもバチは当たらないだろうと思った。少しだけ反省はしている。後悔はあんまりしてない。

そもそも「長い時間一緒に過ごしたい」と自分が思えることがほんとうに嬉しいし、自分自身の未知なる感情との出会いのために時間を割いてるので実質自分のため/自分本位なんだよね。だからわりと「付き合わせている」とおもってしまうし、実際そうなんだろうと思う。感情や想いの返報を期待するのは負担以外のなにものでもないということを自分自身が身に染みて体験しているので、常に「期待しないでいること」に気を付けている。

沢山のことがこれからどんどん分かっていくのだろうなと思うので楽しみです。これまで通り、自分の機嫌は自分で取りつつ、愛を配りつつ、をしていきます。不思議と気分は明るい。