La Vie en Rose

思考の備忘録

0214

春が近いことを感じさせる暖かさ。花粉。春花粉じゃないと思ってたけど、否定できなくなってきた。

 

 

恋人と、初めて喧嘩ぽいことをしました。

「喧嘩することなんかあるのかね〜」なんて呑気に言っていたけれど、ちゃんとありました!だからか、最中もどこかウキウキしている自分がいた。

原因は割愛しますが、今回の件に関しては相手の非が7割、私自身のエゴが1割、外的要因が2割という所感(本人は自分に100%非があると主張していたけど)だったので、主張が反発し合うような喧嘩はしていないのだけど、気持ちに行き違いが生じそうだったという観点からみて"喧嘩ぽいこと"でした。

自分にとって腑に落ちないことがあったときに、素直に言える関係性は尊いな、と感じいる会話でした。自分の気持ちを伝えてもきちんと受け止めてもらえるという信頼があったし、実際にその通りだった。多分、というか確実に、私の対話のやり方は圧迫的に感じる人もいると思うからこそ、それを平常なものとして聞いてくれる交際相手には感謝の気持ちが募る。何度か言葉を一生懸命に選ぼうとする故に詰まることがあっても、そのたびに電話口の向こうで黙っていてくれたのがとても優しくて、関係ない文脈で泣きそうになっちゃうなどしました。

話終わったあとも、「でもこういうことを伝えてもらえるのはめちゃくちゃ嬉しいなあ」と言っていたのが本当に印象的で、こんなに素直で優しい良い子で大丈夫か?と思ってしまった。too precious for this worldなのでは....とはいえ普通に神格化されるような人間ではないというのも見て知っていて、私がすぐにこうやって崇め称えがちなところを(本人の意図しないところで)諌められるので、結局相性がいいんだね。そういうことにさせて下さい。

なにはともあれ、先日、親友に言われた言葉を実感しました。「好きな理由を探すのではなく、好きだから一緒にいるための方法を模索するのだ」。この言葉に完全に納得することは出来ないけど、好きだから解決を図ろうとするのだな、とは思う。謝罪をする自由は相手にあって、それと同時に謝られても許すかどうかの自由は私の手元にあって、でも好きだから許してしまうのだろうなと思ってしまって悔しい。ずるい。とても好きっぽくて笑うしかない。

 

需要がない恋愛の話ばかり書いてしまう、と一瞬反省したけど、そもそも需要のある話なんて書いてないのだった。すべて自己満足なのでした、傲慢でした。